2022-01-01から1年間の記事一覧
いま、この神経精神分析という新しい領域についての、これよりちょい専門的な本を読んでます。なかなか示唆的です。精神分析(ドグマ人類学)と神経科学、つまり「こころ」と「脳」とをつなぐ研究です。 この著者は意識のある自己証明システム(ホンモノのAI…
きみたちのなかに、 きみたちは声を聴かなければならない (いくつもの)沈黙した声を
道徳、すなわち「善/悪」のゲームはどのようにしてはじまるか?ということをこれほど常識に反して説明できたひといないと思います。そして、あらゆる領域におけるイノベーターたちの素質ともかかわっているように思います。 特に面白いのはやはり、「利益追…
なんでもできるは、なんにもできないのと同じこと。全能は無である。 なんでもできるという妄想から出発する限り、現実は変わらない。あるいは、妄想が現実になるときに、悲劇が起こる。 では、なんにもできないという現実から出発した場合はどうか。 鬱にな…
人間は再生産しなければならないから、人間は二つの性別に分けなければならない。
宗教において、美と政治は未分化である
なぜ、不在は喜びでもあるのか。 不在においてわたしたちは、現前した〈あなた〉以上に〈あなた〉を渇望する。 この渇き、この飢え、この苦しみ。 苦しみがわたしたちを〈あなた〉への思考を高める。なぜ、なぜ、なぜ、どうして、〈あなた〉はここにいないの…
中井久夫は、死後には無があるだけだろう、けれど、明るい無であってほしいという。 明るい無、プロティノス的死後ということだろうか。 無神論者の祈り 無神論者のなかで最も敬虔な者、ツァラトゥストラ
金井家 長男:利廣:軍曹、満州へ。兄弟おもいだった。中国でチフスにかかりすぐに死んだ。 次男:喜久 長女:貞子(?):幼く亡くなったが頭がよかった 3才で駄菓子屋のおつり「足んないよ」 次女:満子:みっちゃんばあば 三女:静子:しいしいばあば 四…
体系は要素が変化すればバラバラになるが、構造は要素が変化しても普遍である。構造と力は対立のように捉えられるが、そもそも構造が力なのではないか? 力とは過去との未来との関係の名であると言えないか。そうだとすれば、構造の時間的側面が力であるとい…
顔の向こう傷、スカーフェイス。わたしには見えない。それは、木漏れ日のなかの最初の記憶(それも写真によって事後的につくられたものかもしれない)、わたしの名を呼ぶ母親の声、不分別ないたずらに対する父の怒りの顔、わたしにとっては御仏による監視(…
現代思想において、「文体」概念が「テクスト」概念に置き換わったことについて、中井久夫は、それが原因で、現代はついに第一級の文学作品を生み出さなかったという(うる覚え)。これは深刻な指摘ととらねばならない。「文体」に含まれるのは、レトリック…
哲学にまだ居場所はあるだろうか。ある、と答えるのは簡単だ。しかし、哲学的知見、とりわけ形而上学については、われわれはもはや系譜学的、人類学的、宗教学的興味しかもちえないのではないか。 シェリングは自然哲学の立場から超越論的哲学を批判する文脈…
クソくだらないものを読んでいる。こんなものをニーチェの名を借りて書いているやつがいるとは。 ニーチェの無理解を痛感する。
赤い絵の具と青い絵の具が 決して溶け合うことなく 混じりあう 立って歩ける
宗教にあって、哲学にないものは、神でも信仰でもない。神のような超越的な固定点(カントの物自体や、ヘーゲルの絶対精神のような)がなければ哲学という建築物は瓦解してしまう。どんな哲学的テクストの中にも必ずそれ自体根拠づけられない概念、ドグマ的…
カフカは「書くことは祈りの一形式」であるという。祈り方の変容は変革を生む。イエスはがラビたちに抗議をしたとき、もっとも重視したのは祈り方だった。短く祈ること。そして、神を讃えるだけでなく、「日々の糧」を望むこと。
最近、将棋をしている。 「こういった相手の駒を確実にとれるときに、あえてとらずに、俯瞰してみて、また別の攻撃ができるか検討すると、勝率がグッとあがります」 これはたぶん、コミュニケーションにもいえる。
「まえにちょっと生活保護の話題になりましたが、この記事は生活保護についてわれわれが議論するときに絶対に忘れてはいけない前提だと思うので、共有しておきます。これを前提にしないと、生活保護を必要とするひとたちを置き去りにした議論になってしまう…
メタバースの特性⑴身体性の拡張→広義のメディア論⑵オルターエゴ→アイデンティティ論⑶参加型文化→認知資本主義論、共同体論⑷精神のサイボーグ化→ポストヒューマニズム論
哲学の真の敵は狂気ではなく、愚鈍である、とドゥルーズは言った。狂気は別の理性と表裏一体であり、独自の(本来の意味で独自の)論理をもっている。狂気にはある種の真剣さがあり、その論理によって世界に真に向き合っている。愚鈍の場合には、そこに論理…
構造を批判しつつ、どんなジェンダーの人もケアされるべきという前提に立つのがジェンダー論的な立場ですが、これがややフェミニズムと対立することがあるのは、Sも指摘していて難しいですね。ただ、その難しさは論理的なもの、理論的なものではなく、実践的…
哲学がもはや形而上学的・客観的真理を明らかにできないことが明らかになった以上、哲学は歴史哲学でなければならない。しかし、ヘーゲル的な意味ではなく、ニーチェ的な意味でそうなのだ。 哲学は歴史に、とりわけ現代に向き合いつつ、その時代が求めるもの…
ふだんいわれる意味での現実主義とは、じつのところ固定された時間を準拠とする近過去主義であり、ほんとうの「現実」を重んじる立場ではない。ほんとうの現実主義は、変化する現在の生成を重視する。だがそれでもまだ十分ではない。現実主義のエピクロス的…
ファシストは本が怖い 死者が黙っていると思うな
そして本は開かれ(その戦いはまだ終わっていないのだから) お前の石になった心臓を砕く 白の頁から、黒く、垂直に、火が(裂けて) やがて、九月に部屋の隅にこわばる肉体をみつけるだろう ふたつのからだ、灰になった静けさが、途方もなく 大きな音を立て…
海がわたしたちをその額で固めてから、海の眼で、内臓を、微かに、揺する。その黒く空を穿つふたつの存在は、まだ、距離をとったまま、浮かんでいる。かたちがなくなるまでのみじかいあいだの、星々に似た、空気の肌触りの留め金。
窓の外に流れる小川は春の日差しを不規則に反射していた。冷たい手を握っていた。既視感のあるありきたりなドラマのようで、ただ事実だけが新鮮だった。
長く俯き疫病を恐れながら読んでいた。行きには数ページほどしか読めなかったドイツ文学史が、気づけばもう近世にさしかかっている。どこか、なにかがおかしい。渋滞でもする道ではない。電光表示には一六分で錦糸町駅に着くと書いてあった筈だ。しかし、予…
1. ある種の加害が事後に救済になり、ある種の救済が事後に加害になることがある。 2. 体験された生は傷としてはじめて認識される。体験しているときには曖昧にしか認識できない。それは後になって解釈される。 3. とすれば、傷についての再解釈が可能である…