バカの類型学

哲学の真の敵は狂気ではなく、愚鈍である、とドゥルーズは言った。狂気は別の理性と表裏一体であり、独自の(本来の意味で独自の)論理をもっている。狂気にはある種の真剣さがあり、その論理によって世界に真に向き合っている。愚鈍の場合には、そこに論理も、道理も、真剣さもない。愚鈍には真に向き合うべき世界がない。

 哲学は愚鈍にたいして、なにもできなかったのか。では、なぜ。

 おそらく、愚鈍をより些細に分析し、分類することが求められるのだろう。たとえば、「この者はバカだ」というかわりに、「このものには躾が必要だ」とか、「このものには認識が必要だ」とか、「このものには愛が必要だ」とか、それぞれの愚鈍に合わせた処方箋を用意する必要がある。