ディスパワーメント社会
ほんとにこの社会って、「こういう問題があります、解決しないといけません」と言うと、「しかたない」とか「不可能だ」とかなんやかんやの理由をつけてディスパワーメント(脱力?)させるやつ多すぎ。あなたの無力感を勝手に他人に押し付けないで。やる気ないなら黙って見てて。と、思う。
しかもこれはネット上の匿名の人たちだけに限らない。日本だといわゆる「言論人」も活動を腐したり、ディスパワーメントしてくる。「なんか言うならまず活動してくれ」と言うと、「言論人(?)」連中は、「批判的な指摘をするという活動をしてる」と言う。
まあ、一理ある場合もあるが、その場合でも具体的な活動をしている現場の声、当事者の声に真摯に耳を傾けることが前提だよね。そう言う意味での職業倫理が終わってる言論人多すぎ。挙句、最終的にはリアリズムと称して現状追認したり、マジョリティに迎合するだけだったりする。ひどいよ本当に。
自分らは商売のつもりかもしれないが、社会に与える負の外部性がやばすぎる。公害レベルです。
(左向きになった)
左向きになった
崩れた槍。
青く濁っていく水瓶にふれて
星を散らしながら
お前の手に堕ちていく
(それをどうする?)
重ねられた夜間航行の軌跡から
二つになった煙花。
岩になった場所の密度で
沈黙が、 ーーそこから数多、手が
裂けて
父の思い出
最期の日々。
ポッカの缶コーヒーと、タバコ。
無限に流れる安室奈美恵のDVD。
癌が進行していてEDだったのだろう(ただしまだそのときは発覚していなかった)。
帰ってくるなり、調子よく、
「今日ちゃんと勃ったぞ」と言った。
おそらく、最後のセックス。
原宿に住む昔の客と(別のひとから聞いたが、その人は別のいい人と再婚したそう)。
このセクシスト(母に対するふるまい)の卑小さ、はかなさ。
よく、道に血を吐いていた。
最期の日々、自分の人生の終わりに、夢をなにも達成できなかったことを嘆いて(パチンコで借金を3000万円背負い、自分の店を潰した)、普段は温厚なのに、いつも我慢してきたのに、1000カットの店で、機材を投げたり叩いたりして大声で暴れた。彼はなんと言ったのだろう。ほかの従業員の目にどう映ったのだろう。どれほどやるせなかったのだろう(ほんとうなら自分の店で、オシャレにして、高級なカットをしたかったけれど(父は美容師だった)、借金してから1000円カットで働いていた)。こんなはずではなかったのに、と。
まもなく死んだ。
ギリギリまで我慢して、ナースコールを押さずに、死の直前、最後の一言、「看護婦さん!」。
もう10年前のこと。
いま思えば、人間の生についての思考は、このとき、父の最期のこころを想像するところから強くなっていったかもしれない。(もちろんそれ以前からよく内省する子どもではあったが)。
人間のいのちのどうしようもなさ。
どれほど苦しくても、どれほど受け入れ難くても、人間はそうやって生まれて死ぬ。
怒りと祈り
祈りが他者へ強く注意を向けることであるなら、
怒りは祈りの一形式である。
祈りではない怒りは、怒りではなく憎悪である、