日本におけるインセル問題としてのオタク 超越的な立場からなんでもかんでも消費する 弱者男性と開き直る
ほんとにこの社会って、「こういう問題があります、解決しないといけません」と言うと、「しかたない」とか「不可能だ」とかなんやかんやの理由をつけてディスパワーメント(脱力?)させるやつ多すぎ。あなたの無力感を勝手に他人に押し付けないで。やる気…
世界内存在からの脱出としての、描く行為 離人感と存在の認識と、神秘 手段の連関からの脱出
わたしたちはみな、解釈者として歴史に参与している。別言すれば、日々の立法に、そしてその法の運用による他者の生死に、関与している。この解釈者としての世界への参加は、人間性(humanité)への参加でもある。この意味で「個人」は幻想であり、人間性の…
左向きになった 崩れた槍。 青く濁っていく水瓶にふれて 星を散らしながら お前の手に堕ちていく (それをどうする?) 重ねられた夜間航行の軌跡から 二つになった煙花。 岩になった場所の密度で 沈黙が、 ーーそこから数多、手が 裂けて
最期の日々。 ポッカの缶コーヒーと、タバコ。 無限に流れる安室奈美恵のDVD。 癌が進行していてEDだったのだろう(ただしまだそのときは発覚していなかった)。 帰ってくるなり、調子よく、 「今日ちゃんと勃ったぞ」と言った。 おそらく、最後のセックス。…
祈りが他者へ強く注意を向けることであるなら、 怒りは祈りの一形式である。 祈りではない怒りは、怒りではなく憎悪である、
・善意や悪意が先にあるのではなく、善的ふるまいと、悪のふるまいがある。善的なふるまいをすると、善意が湧き、悪のふるまいをすると悪意が湧く。(フィードバックが変わるティッピングポイントをつきとめたい) ・ふるまいを徹底するのは難しい ・悪人に…
箱になった者らが生きているとしたら どうする? その者たちによって、 口にされなかった言葉は、どうなる? 朝の暗い下水の彼方から 秋夜の葉状を抜けて あらゆる信者の胸に穴をあけて お前の口に灼熱と雪を投げ込む。
いま、この神経精神分析という新しい領域についての、これよりちょい専門的な本を読んでます。なかなか示唆的です。精神分析(ドグマ人類学)と神経科学、つまり「こころ」と「脳」とをつなぐ研究です。 この著者は意識のある自己証明システム(ホンモノのAI…
きみたちのなかに、 きみたちは声を聴かなければならない (いくつもの)沈黙した声を
道徳、すなわち「善/悪」のゲームはどのようにしてはじまるか?ということをこれほど常識に反して説明できたひといないと思います。そして、あらゆる領域におけるイノベーターたちの素質ともかかわっているように思います。 特に面白いのはやはり、「利益追…
なんでもできるは、なんにもできないのと同じこと。全能は無である。 なんでもできるという妄想から出発する限り、現実は変わらない。あるいは、妄想が現実になるときに、悲劇が起こる。 では、なんにもできないという現実から出発した場合はどうか。 鬱にな…
人間は再生産しなければならないから、人間は二つの性別に分けなければならない。
宗教において、美と政治は未分化である
なぜ、不在は喜びでもあるのか。 不在においてわたしたちは、現前した〈あなた〉以上に〈あなた〉を渇望する。 この渇き、この飢え、この苦しみ。 苦しみがわたしたちを〈あなた〉への思考を高める。なぜ、なぜ、なぜ、どうして、〈あなた〉はここにいないの…
中井久夫は、死後には無があるだけだろう、けれど、明るい無であってほしいという。 明るい無、プロティノス的死後ということだろうか。 無神論者の祈り 無神論者のなかで最も敬虔な者、ツァラトゥストラ
金井家 長男:利廣:軍曹、満州へ。兄弟おもいだった。中国でチフスにかかりすぐに死んだ。 次男:喜久 長女:貞子(?):幼く亡くなったが頭がよかった 3才で駄菓子屋のおつり「足んないよ」 次女:満子:みっちゃんばあば 三女:静子:しいしいばあば 四…
体系は要素が変化すればバラバラになるが、構造は要素が変化しても普遍である。構造と力は対立のように捉えられるが、そもそも構造が力なのではないか? 力とは過去との未来との関係の名であると言えないか。そうだとすれば、構造の時間的側面が力であるとい…
顔の向こう傷、スカーフェイス。わたしには見えない。それは、木漏れ日のなかの最初の記憶(それも写真によって事後的につくられたものかもしれない)、わたしの名を呼ぶ母親の声、不分別ないたずらに対する父の怒りの顔、わたしにとっては御仏による監視(…
現代思想において、「文体」概念が「テクスト」概念に置き換わったことについて、中井久夫は、それが原因で、現代はついに第一級の文学作品を生み出さなかったという(うる覚え)。これは深刻な指摘ととらねばならない。「文体」に含まれるのは、レトリック…
哲学にまだ居場所はあるだろうか。ある、と答えるのは簡単だ。しかし、哲学的知見、とりわけ形而上学については、われわれはもはや系譜学的、人類学的、宗教学的興味しかもちえないのではないか。 シェリングは自然哲学の立場から超越論的哲学を批判する文脈…
クソくだらないものを読んでいる。こんなものをニーチェの名を借りて書いているやつがいるとは。 ニーチェの無理解を痛感する。
赤い絵の具と青い絵の具が 決して溶け合うことなく 混じりあう 立って歩ける
宗教にあって、哲学にないものは、神でも信仰でもない。神のような超越的な固定点(カントの物自体や、ヘーゲルの絶対精神のような)がなければ哲学という建築物は瓦解してしまう。どんな哲学的テクストの中にも必ずそれ自体根拠づけられない概念、ドグマ的…
カフカは「書くことは祈りの一形式」であるという。祈り方の変容は変革を生む。イエスはがラビたちに抗議をしたとき、もっとも重視したのは祈り方だった。短く祈ること。そして、神を讃えるだけでなく、「日々の糧」を望むこと。
最近、将棋をしている。 「こういった相手の駒を確実にとれるときに、あえてとらずに、俯瞰してみて、また別の攻撃ができるか検討すると、勝率がグッとあがります」 これはたぶん、コミュニケーションにもいえる。
「まえにちょっと生活保護の話題になりましたが、この記事は生活保護についてわれわれが議論するときに絶対に忘れてはいけない前提だと思うので、共有しておきます。これを前提にしないと、生活保護を必要とするひとたちを置き去りにした議論になってしまう…
メタバースの特性⑴身体性の拡張→広義のメディア論⑵オルターエゴ→アイデンティティ論⑶参加型文化→認知資本主義論、共同体論⑷精神のサイボーグ化→ポストヒューマニズム論
哲学の真の敵は狂気ではなく、愚鈍である、とドゥルーズは言った。狂気は別の理性と表裏一体であり、独自の(本来の意味で独自の)論理をもっている。狂気にはある種の真剣さがあり、その論理によって世界に真に向き合っている。愚鈍の場合には、そこに論理…