ニーチェと俗流ニーチェ主義

 

 

道徳、すなわち「善/悪」のゲームはどのようにしてはじまるか?ということをこれほど常識に反して説明できたひといないと思います。そして、あらゆる領域におけるイノベーターたちの素質ともかかわっているように思います。

特に面白いのはやはり、「利益追求」も「無視無欲」も、そもそも「損/得」という低劣な価値基準を前提にしているし、現代ではそれが常識のようになっているけど、その「損/得」の価値基準自体が歴史的な偶然の産物に過ぎないという指摘ですね。みずから「善/悪」「高/低」の基準を設定できない畜群本能をもつ人びとが、「損/得」という他人基準の指標にすがってしまうということですね。

A「ホリエモンはクソだ、守銭奴だ、無私無欲で労働することに美徳があるんだ、ボランティアを見習え」
B「無視無欲でボランティアやってるやつらなんか偽善だろ? 結局金がなければ生きていけないんだから。利益がすべてだよ」

ふつうはこういう二項対立になるわけですが、ニーチェの場合はこの二人のはるか高みから「Aも Bも、お前ら同じゲームの上にいるじゃんか」と指摘するわけですね。

 

 

こうした本来のニーチェは、俗流ニーチェ像とは全く違いますよね。俗流ニーチェ主義者のパターンを一応リストアップしておきます。これらは本当に簡単にハマれる罠です。

⑴ニヒリスト、中二病パターン
「神は死んだ!正義なんか、善悪なんかないのだ!だから好き勝手やればいいんだ!むしろ俺が神だ!」(典型的なパターンなのでむしろ説明がいらないですね)

⑵ニヒリスト、冷笑パターン
「神は死んだ。すべては偽善だ。なにをやっても無駄なんだから、会社に逆らうな、国家に逆らうな、資本主義に逆らうな、システムに逆らうな、俺と同じようにお前もシステムに支配されろ。お前だけが免除されると思うな。社会は厳しいんだ」(こういう連中のタチの悪いのは、マイノリティや弱者だけを攻撃して、マジョリティや強者にはその攻撃が向かないことです。姑息で、卑怯な、僕がいちばん嫌いな人種です)

⑶ニヒリスト、原理主義パターン
「全ては無価値であることが辛すぎる。何かを信じたい、なんでもいい。そうか、これか、これだけを信じれば救われるのか、じゃあこれだけを信じよう、これが絶対的に正しいのだから! これに逆らう奴は生きる価値はないんだ」(補足:「これ」には例えば神、共産主義オウム真理教、科学、AIなどが入ります。一つの価値だけを絶対視するあり方です)

⑷ニヒリスト、バカパターン
「新しい価値は自分たちで作るんだ!だから勉強なんていらない。俺たちはオリジナルでイノベーティヴなことをするんだ!理性なんて、論理なんて、歴史なんてクソだ!自分の感性だけを信じるんだ!」(こういうひとはアーティスト界隈によくいますが、いつも喧嘩になります笑)

僕も含めて、現代人は普段の生活ではみんなこれらどこかの類型に入ってしまう瞬間があるのではないでしょうか?笑