レヴィ=ストロースの定義から

体系は要素が変化すればバラバラになるが、構造は要素が変化しても普遍である。構造と力は対立のように捉えられるが、そもそも構造が力なのではないか?

力とは過去との未来との関係の名であると言えないか。そうだとすれば、構造の時間的側面が力であるということになる。たえざる変化(意図的な変革ではなく)こそが、自然であり、意図的な変革さえも必要がないとしたら?(こうした立場は一種の慰めにはなる。パスカルの慰め。しかし、誰かがやらなくてはならないことがある。マルクスの矛盾)。