哲学が軽視してきたもの

宗教にあって、哲学にないものは、神でも信仰でもない。神のような超越的な固定点(カントの物自体や、ヘーゲルの絶対精神のような)がなければ哲学という建築物は瓦解してしまう。どんな哲学的テクストの中にも必ずそれ自体根拠づけられない概念、ドグマ的概念が存在する。

哲学に存在しないのは、儀礼やダンス、身体的な修練である。それは哲学が肉体を軽視した証である。

 

では、宗教が肉体を軽視しなかったかというと、かなり心許ないが。宗教は肉体を軽視するからこそ、肉体を統治しようとしたのではないか。

 

では、われわれは肉体を重視する方法を誰から学べばよいだろうか。エピクロス

 

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自己のスタイルを確立すること。抵抗のための自己陶冶としてのダンス。踊らされるのではなく、みずから踊るためには、独自のスタイルで自己を律する必要がある。「祈りを真似るな!」