とあるチャットで

構造を批判しつつ、どんなジェンダーの人もケアされるべきという前提に立つのがジェンダー論的な立場ですが、これがややフェミニズムと対立することがあるのは、Sも指摘していて難しいですね。ただ、その難しさは論理的なもの、理論的なものではなく、実践的な困難なのだと思います。結局のところ現実の複雑さは人知を超えるので、図式的には矛盾することがらを、矛盾のまま受け入れて、そのつどの実践の中で最適解を出すための余裕と胆力とが要求されるのだと思います。その要求の度合いが半端ない勢いで高まっていると同時に、忙しすぎてそういうことを考える余裕がまったくないし、じっくり考える胆力も鍛える機会がない、というのが現代社会の根本問題なのかなと。