全能性と無

 なんでもできるは、なんにもできないのと同じこと。全能は無である。
 なんでもできるという妄想から出発する限り、現実は変わらない。あるいは、妄想が現実になるときに、悲劇が起こる。

 では、なんにもできないという現実から出発した場合はどうか。

 鬱になったとき、すべてがどうでもよくなる。現実を生きている感覚がなくなってしまう。すべてがメタな世界にみえて、すべてがゲームのようになっていく。離人とは別の、もっと地味で、もっとゆっくり、しかし、もっと執拗に侵食してくような感覚。無から有を生み出したいという感覚。神がもし全能ならば、神はこの世界を創造する必要はなかった、自らのみで自足していたはずだ。神が生み出すということは、神が神ではなくなるということ。神であった何かになること。神と同じように、なにかを無から生み出したいのは、おのれの全能を、おのれ無を、有限な有にしたいから。生み出したい衝動は、また二人になるために必要なことで、それは、防衛本能かもしれない。