善悪について

・善意や悪意が先にあるのではなく、善的ふるまいと、悪のふるまいがある。善的なふるまいをすると、善意が湧き、悪のふるまいをすると悪意が湧く。(フィードバックが変わるティッピングポイントをつきとめたい)

 

・ふるまいを徹底するのは難しい

 

・悪人になるのは難しい

 

・善意は無から生じない、悪意も。

 

・善人のように振る舞えばいい

 

マキャベリは、「人間は本来、善人になりきることも、悪人になりきることもできない」と言った。悪人にみえるひとの多くは、元から悪意があったわけではなく、悪的なふるまいを社会のなかで学び(たとえばダウンタウンから)、それをかっこいいと思ったのか、おもろしろがってやったのかわからんけど、やってみたら引っ込みがつかなくなって、ずっとダサくてつまらない態度をとってしまう負のループ(正のフィードバック)に入ってしまっているのではないか。悪意が悪を産むのではなく、悪のふるまいが悪意を呼び寄せる。ひろゆきや、ホリエモンや、成田祐輔や、悪的なふるまい、冷笑的なふるまいを教え、感染させる教師として(そして当人たちも引っ込みのつかなくなったダサいつまらんやつとして)、最悪の教育をしている。逆のことが善にもいえるなら、わたしたちはただ、それがフィクションだろうが、演技だろうが、善的なふるまいをすればいい。悪という習慣。善という習慣。

 

くそつまらんダサいやつが、つまらんダサいことして、引っ込みがつかなくなって開き直りまくった末にひろゆき的社会が誕生したのではないか?という気がしてきた。ダサさの正のフィードバック。そう考えると、善も悪も、正のフィードバックであるなら同じで、負のフィードバックが大事だなとなる。