いまこそ。

ある人たちは––––私たちが希望的に観測しているよりもその人たちの数がはるかに多いかもしれないのだが––––戦争というものをこの世の苦悩や苦役に対する願ってもない中断とまでは考えないにしても、胸がわくわくするものと思っている。死と隣り合わせだということが、味わいを増し、平素は鈍い脳細胞の働きを早める。しかし、他方にはこの男のように、無法な殺人に反逆し、個人の力をもってしては殺し合いを終わらせようがないという辛い自覚をもち、現実社会から逃避することを選び、もっと先の都合のよい時に、もう一度この世に生まれてくる機会を与えられるとしたって、もうそれはご免こうむると思っている人間がいるのだ。人間とは、一切関係をもちたくないと思っているし、新しい試みも芽のうちに摘み取ってみたがる。そしてもちろん、戦争を失くすという努力と同様、このことに関しても無力なのである。しかし、彼らは魅力ある類いの人間だし、最終的には人類にとって貴重な存在である。それがたとえ、人類が破滅に向かってまっしぐらに進んでいるようにみえる、この暗黒の時代に信号機として振舞ってくれているだけのこととしてもだ。配電盤を操作する者はいつも見えないところにいて、そして私たちはその男に信頼を置くのであるが、しかし、線路を走ってゆくかぎり、明滅する信号機はつかの間ながら慰めを与えてくれる。私たちは機関士が安全に目的地につれて行ってくれることを望んでいる。腕を組んで座り、自分の安全を他人にまかせてしまう。ところが、もっとも優秀な機関士でさえ、地図に示されたコースにしか私たちを連れて行けない。私たちの冒険は地図にない領域においてであって、その道案内には勇気と知性と信条だけが必要だ。私たちに義務があるとすれば、それは自分の力を信頼することである。自分の運命をその手に委せることができるほど、偉大な人間とか賢明な人間はいないものだ。誰にしろ、私たちを導くことのできる唯一の方法は、私たち自身の定った方向が間違っていないという信条を取り戻させることである。偉大な人間は、この考えが常に正しいものだと示してきた。私たちを幻惑させ、道を踏み迷わせるのは、心底から守れそうもないことを、約束する連中である––––すなわち、安全、安定、平和等。そしてもっとも忌まわしいことに、こういった連中は、絵空事の目標に到達するという名目で、人間同士の殺し合いを私たちに命令する。

ヘンリー・ミラー『愛と笑いの夜』から