エーゲ海に臨み History of Philosophy 2

 

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イタリア映画音楽界の巨匠アルマンド・トロヴァヨーリの手になる、映画『Sessomatto(性と狂気の合成語)』のサウンド・トラック。数ヶ月前、コロナ・ウイルスにより86歳にして失命したアフロ・ビートの旗手のひとりマヌ・ディバンゴの名曲「Soul Makossa」をモチーフとして、官能的嬌笑が嫣然と喘ぎ踊る表題曲は流石というべきか。  

   

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 タレス日蝕を予告したという。これはヘロドトス『歴史』による報告であるとか。また、同時刻のおのれの影の長さと比較することでピラミッドの高さを算出したともいう。これは確かディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』で読んだか。

 ここを切りとれば初発とされる伝説的哲学者のイメージは科学者に近い。このイメージはさして誤りでもないようだ。というのもソクラテス以前、もっと言えば哲学の中心がイタリア––––ピュタゴラスパルメニデスはここで活躍した––––へと移るよりもむかし、すなわちまだオリエントの神話群からの影響が色濃く、エーゲ海に臨みつつその自然の雄大さのさなかにあって哲学をした人びとはみな、『自然について』という著作をものしたらしいからだ。

 イオニア時代の哲学者たちは万物の元を探した。「世界はどのようにして形成され、現にどのようにあるか」を問うたのである。ではタレスにとってはどうかといえば、アリストテレスが『形而上学』でこう述べている(ここからわかるのはタレスを初期の哲学者(自然学者)たちのなかで「祖」として位置づけ、教科書的な理解をつくったのはアリストテレスであるということだ)。

最初に哲学に携わった人たちの大部分は、もっぱら素材(質量、ヒュレー)のかたちのものだけを、万物の元のもの(原始、アルケー)として考えた。(.....)まず、このような哲学の創始者たるタレスは水がそれであると言っている。

 エーゲ海がまだガラスのスクリーンに煌々とひらめくイメージすぎないわたしにとっては想像に想像を重ねるしかないのだが、やはりあれほどの優美な海と気候に生きれば「水だ」と言いたくなる気持ちも察しがつくというものだ––––近年の考証ではオリエントの「水の神」の影響があるというが。

 水は生きとし生けるものにとっては、不可欠の要素である。人間のからだがほとんど水からできているというのはもちろん、他の動物や草花も水によって生き、水を失って死んでいく。しかもタレスはわたしたちが考える生命だけを想定していたわけではない。アリストテレスの証言によればタレスは磁石や琥珀にも生があったと考えているらしいからだ。だから、磁石や琥珀のごとき物質にとっても水は必要ということになる。だが、これもあまり不思議ではない。海は波打ち、岩肌を削り、永い年月をかけて砂にまで至らしめる。が、その砂がさらに細かくなり粘土となったとき、それらを再び重く結びつけて固める力も水にはある。こうしたことを考えたかもしれない。

 つまり動力なのだ、水は。雨が降り、海を作り、また蒸発して雨を降らせる。こうした世界の循環、その循環のなかで命があらわれ、生がみなぎり、そして枯れてゆく。わたしなどがここで思い出すのは方丈記だ。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

 このように世界は淀みなく流れて跡形もなく消えゆく。しかしそこにも不変のものはあり、それが水であると考えることもできるだろう。あらゆる移りゆきのなかに貫通し、それらを動かしてゆく一つの原理としての水。

 余談になるが、タレスをめぐる愉快な伝説としてアリストテレス政治学』にこうある。哲学者は貧乏だ、とのイメージは最初からあったようだ。

彼は貧乏であったが、貧乏であることは哲学が役に立たないことを示すと考えられたので、彼はそのことで非難を受けた。話によれば、彼は星に関する自分の巧妙な知識によって、次にくる年にオリーヴの豊作がある、ということを冬の間に知ることができた。そこで彼は、少しは金をもっていたので、キオスとミレトスにあるすべてのオリーヴ圧搾器を使用するための、保証金を支払っておいた。競りあうひとがぜんぜんいなかったために、彼はわずかの金でそれらの器械を借りたわけだ。収穫時がきて多くの圧搾器が急にそろって必要になると、彼は思いのままの高値でそれを貸し出し、多額の金をつくった。このようにして彼は、哲学者はお望みとあれば容易に金持ちとなることができるが、哲学者の野心はそれ以外にある、ということを世間に示した。

 初期の哲学者たちは「科学者」のイメージであると言った。が、実際のところタレスは––––ヘロドトスプラトンの伝えるところによれば––––むしろ優れた技術者ないしは政治指導者として活躍したらしい。そう考えれば、ここに語られる伝説も由なきことではないだろう。

 はじめ「Philosophiaの生成と制定」とするはずだった文章が、またしても頓挫した。そもそもタレスからアリストテレスまでには軽く300年近ほどのひらきがあり、それをひとまとめに書こうと思ったのが間違いだ。それからこれは忘備録だけど、ヘロドトス『神統記』について、それからソロンの旅行(テオーリア)についてはいつか一回分をつかって書いてみたい。

 

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