History of Philosophy 4 悦ばしき思惑
見えなくなったものたちの / ダンスは続いてる
疲れ切った仲間が / 舞台をおりていくよ
舞台なんかないって誰も叫ばない
演じることがすべてなんて / そんな真実いらない
正直だった者たちの / ダンスは続いてる
たよりないもののために / 人は命を賭ける
* * *
思惑と毒はときに薬となる。
初期の「哲学」はイオニア地方のミレトスで起こった。これは現在トルコの西岸、エーゲ海に面した地域である。やがて哲学の中心は南イタリアへと移る。ペルシアでBC559年にキュロスが王位につき、メディア、リディア、メソポタミア全土を征服し、ペルシア帝国を創建したのだ。このペルシアの台頭でイオニアから故郷を追われた人びとは南イタリアやシチリア島へと向かったようだ。
その一団のなかにクセノパネスがいた。彼はどんな学派にも属しておらず、ソクラテス(「無知の知」)やモンテーニュ(「わたしは何を知るか?(Que sais-je?)」)に先駆けて第一級の懐疑主義者と目される。いわく、「すべてにつけて思惑あるのみ」。
かれはあのホメロスにすら反抗した。つまり、神を人間のかたちに鋳直すことを嫌った。人格神の否定である。有名な文句だ。
しかし、もし牛や馬やライオンが手をもっていたとしたら、
あるいは手によって絵を描き、人間たちと同じような作品を作りえたとしたら、
馬たちは馬に似た神々の姿を、牛たちは牛に似た
神々の姿を描いたことだろうし、身体を作るにも
それぞれ自分たちのもつ体つきと同じような
ものにしたことだろう
ひとはわが力の及ばぬ大いなるもの、自然を畏怖してきた。難破した水夫たちのみる朝焼けの海。道を失った千尋。固くものを言わぬ大地。これらにひとのすがたを与え、理解の可能性をひらいたのはホメロスの所業であった。これはのちのわれわれにとっては擬人法として定着したことばの《あや》であるが、神話的世界に住う古代人にとっては現実の過酷さをイメージの世界へ投影し生きうるものにするための方途であったろう。だがクセノパネスは、この神話的なものを打ち砕くことで神を殺そうとしたのではない。むしろ神をより強く称揚すると同時に、その神の––––あるいは世界の––––根源的な理解不可能性を呈示したように思われる。
神は唯一であり、神々と人間どものうちで最も偉大であり、
その体つきにおいても思惟においても、死すべき者どもと少しも似ていない。
人の身で確かなことを見た者は誰もいないし、これから先もそれを知る者は誰もいないであろう––––神々についても、私の語るすべてのことについても。
世界が永遠に不可知であり謎であり続けるということは悦ばしいことではないか。終わりなき探究、その戦い。
あと、かれはとても長生きして少なくとも九二歳までは生きたらしい。
* * *
部屋着では汗が滲んだ。五日ぶりガラス戸を引き開けると雲は夏。風が柔軟剤の香りを運びわたしの鼻を抜ける。遠く、海を想う。それから過ごすはずの夜夜。夏祭りの約束をしたひとはいま、近隣にひとりもいない。しぶとく居残った梅雨はあけ、呼吸のたび夏の密度がわたしの密度と溶けあう。硬いパンを買いに。少しだから日には焼けないだろう。