人間、この悲劇的動物 History of Philosophy 1

 

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 日記は性分ではない。から、日記は最小限にとどめるか、気が向いたときに書くかするとして、エッセイにもならぬ覚書のようなものを綴るつもりだ。

 

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古代ギリシアの歴史はBC776をもって開始するのが通例のようだ。最初のオリンピック、つまりオリュンピアの、ゼウスの祭典が催された年であるとされる。ちょうどその前後に『イリアス』『オデュッセイア』が書かれたらしいが、最古の書の一つが歴史であり、戦争という出来事の記述であることは人間のなんたるかを物語っているのではないか。それはまずひとは自らの運命には抗えぬというただの事実である。いのちはそれじたい無限に開かれているのではなく、むしろ肉体の内側に向けてきつく凝縮し、限界を定められてはじめて一つの個体となり不可避的に死へと運ばれてゆく。だから老いるとは無へと溶け出していく––––漢字はむしろ「運ばれる(運命)」といい、運命の西洋語起源はたしか「落下」を意味する––––過程であるといえる。しかもその過程をのぞみどおりまっとうすることなどできずに意志に関わりなくある一つの終わり、仮借ない現実へと引き寄せられていく。だから、戦争の「悲」惨をなんとしても語り「劇」化することで遠くから眺め、相対化せねばならない。ホメロス のそれは人間の根源的心性の現れであろう。人間は悲劇的な種である。と、言ってみて当たり前と言えば当たり前のことなのだけれど、ニーチェのことを想っている。こうして、人間が人間らしくある––––というのは人間はことばによって何かを語り、書くということだ––––ことの原初から悲劇はあったのであり、その意味で芸術は人間にとって不可欠に要請される治癒であったのであり、人間は悲劇的であると同時にそもそも芸術的動物であると言えるだろう。

 「哲学の生成と制定」と題打ち、タレスからアリストテレスまでの流れを書こうとしたら「タ」の字も出る前から脇道へ運ばれてしまった。明日はタレスの話から始めたい。