化物たちの共同体

 人間というものは、自分自身の秘められた真実にとりつかれていて自分の中で育ちその人間を化物のようにしてきた。互いに化物のように見えるが、そう見る本人もまた実はやはり内に秘められた自分だけにしか通じない(すくなくともそう思いこんできた)ところの真実を抱き、あがき、何かのきっかけがあったら爆発しようとしている。彼らは何かのきっかけがあれば、しゃべり出す、相手がおれば相手にしゃべりはじめる。といったって、それはモノローグである。彼らは一度も対話というものをしたことがない。だから相手から化物というふうに思われる。しかしこれはお互いさまのことだ。お互いさまのことだ、ということをカンで分かっているものたちは、化物のあつい気持ちを理解することができる。

 ––––アンダソン

 

 心はかたちがない。脳の信号であると言うことはできる。けれど、わたしたち一人ひとりにとって心というのは、胸の奥の火のようなもので、燃えては消えて、それを終わりなく繰り返している。風が吹けば、騒めく。炭を投げれば、熾る。その火は、わたしの内壁を照らして、さまざまな映像を見せる。小さなごみごみした部屋のなかからアルプスや銀河系へと飛べる。アリストテレスと会話したり、空想上の爬虫類を恐怖することもできる。これはやはり驚異的なことだ。それも、わたしの心は、わたし以外の誰にも経験することができない。

 あの老人の亡き妻と見た北欧の湖に映えた日光を心地よく風が撫でるさまを、思い起こして、あの刹那に叙情になりかけるイメージを、誰も知らない。本人にとっても不確かで、星座のように、像を結んで、消えていく。けれど、星だけそこに居残っている。その身が果てるまで。