Choreography 1

 

youtu.be

 

とおちゃんかあちゃんピカドンでハングリー はぁーどしたどした ハイ プリーズギブミー チョコレートにアメちゃん やい アメ公俺にもチューイングガムよこせ しゃれこうべ見つけりゃ怨の字書いて 5ドルで買ってく奴さんバカでぇ サンキューサンキューおまけにヨンキュー 選ばない手段プレゼントフォーユー 焼け野原からこんにちわ 何も残ってねえんだよこっちには どっちにしたって生きてくんなら現状に天井張らずに裸足で駆けていこう むこう50年間草木も生えない土地と言われど 悲しみ苦しみをバネにかき消すキノコ雲

 

※ 生きてこうよこの希望に燃えて 愛の口笛 たからかに 生きてこうよこの希望に燃えて この人生の並木道

 

となりの朴さんも理解ある大人 HOTな関係築けるならどっから 来た人でも問題ない もう反対はさせない決して「非国民だ」なんてな 足んねぇ頭で思考回路はショート寸前 技量不足、暴走運転 してるようじゃここらじゃ笑われる まぁ見てなさい君もまだ変われる 熱した鉄板の上どんなんでもいい、さっさとのせとくれ 野菜も結構 魚介も結構 薄くのばす溶いたメリケン粉 パッと見具材同士喧嘩しそう・・・でも結局は、まあるく収まる 焼き方とソウルを見て想像せえ こんな歌の裏にある『非日常』をね 

 

  * * *

 

渡辺一夫『敗戦日記』より

 

一九四五年三月十一日

「日記」なるものをつける習慣を捨てて既に久しい。もっぱら死後に残すのみだとしたら、僕の記す日記ごときはおよそ三文の価値も持たぬと信じていた。死後に読まれんがために、喜怒哀楽や日常の些事を、純粋無垢の紙に記して山をなしたとして、それが何になるか。僕が仮に何者かであるならば、書残したものが死後に残る者たちに役立つということもありえようが……!

 今日、僕はあらためて日記の筆をとることにした。気持ちが変わったのは、筆をとらしめるに足る説得的な理由、いささかの希望を見出したからである。ここに記す些細な、あるいは無残な出来事、心覚えや感想は、わが第二の人生において確実に役立ってくれよう。僕が再生し、復讐するその時に。こういう言葉が、ごく自然に出て来たが、それほど決意は固く、かつ熟慮の上ということだ。

 

三月十二日

・国民のorgueil〔高慢〕を増長せしめた人々を呪ふ。すべての不幸はこれに発する。

バルザックのTénébreuse affaire〔『暗黒事件』〕を読む。イエナの戦前、丘の上に立つナポレオンは言ふ、敵味方にどの位優秀な青年がゐるか判らぬ。しかし死なねばならぬ、と。この考へが人類を不幸にしてゐる。偉人はむしろこの優秀な青年達を生かすやうに努力する人々だ。Nは外道だ。

・己は日本国民の新生の為なら死んでもよい。しかしdébâcle〔潰滅〕の為にはnon!

 

三月十五日

 先日の空爆でPantagruelの印刷所がやられ、刷り上がりのものが一切焼けた。ラブレーは遂に日本に無縁なのだらう。

 

 日本は何も慾しない、恐ろしく無慾である。立派な世界人を産む国民となることすら放棄してゐる。滅び去ること。これが唯一の希望であり念願らしい。

 

 本郷の廃跡を見て思ふ。こんな薄ぺらな文化国は燃えてもかまひはせぬ。滅亡してもよいのだ。生まれ出るものが残ったら必ず生まれ出る。

 

 知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本に真の知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない。

 

三月二十日

 越後に出発する子供と一緒に、真砂町の思い出多き部屋で一夜をすごす。眠りこけている二人の平和で安らかな寝顔をじっと見つめているうちに、危うく涙が出そうになる。これが子供たちとすごす最後の夜になるのではなかろうか、そう思った。

 

 ふとこみあげて来るものは美子や格の思出である。この位の悲しみは何でもないのだ、支那の人々が帝国軍閥から受けた苦しみと比べれば。

 

四月三日

 捕虜條約に加入せざる国日本。故に日本の捕虜はなし。Quelle cruauté.〔なんたる残酷〕

 

五月四日

 我が神国政府は自殺への道を歩んでいる。政府にとっては結構かもしれぬが、我々はそれでは困る。

 

五月二十三日

 「––––『日本だって? 謎のなくなったスフィンクスさ』と去年わたしの会った外国の事情通は言った。『日本のいわゆる近代文明なんぞ、ただの見せかけ、カムフラージュにすぎない。やがて正体を見せるさ』––––『仮面があって肝心の顔はないというところだね』と別の一人がつけ加えた。」(同書二四七ー二四八ページ)*1

 

六月一日

 (....)だが東京に残って、週一回の教授会に出席すること、それは死の危険に身を晒す意外に何の意味もない。まさに崩壊しようとしている祖国、だが存続しなければならぬ祖国の為に、生きのびることが僕の義務だと思う。知識人としては無に等しい僕でも、将来の日本にはきっと役立つ。ひどい過ちをおかし、その償いをしている今の日本を唾棄憎悪しているからだ。

 

六月六日

 この小さなノートを残さねばならない。あらゆる日本人に読んでもらわねばならない。この国と人間を愛し、この国のありかたを恥じる一人の若い男が、この危機にあってどんな気持ちで生きたかが、これを読めばわかるからだ。

 

  * * *

 

 八月六日。あれから七十五年、日本人はなにを学んだか。夏のこの時期にはどうしても経験したことのないはずのあの戦争の匂いがしてくる。今年は千鳥ヶ淵へ行けるだろうか。

 作文の練習として渡辺一夫『敗戦日記』を書き写した。大江健三郎の先生である。昨年フランス語の先生はこの本を「わたしたちの心のふるさと」と形容していた。六月六日の日記の切実な思いを読み、思わず涙が出た。この意志はなんとしても継がねばならない。こうして七十五年後の夏の夜に、多くの死に報いる機会を得ているのだから。

*1:アンドレ・ヴィリオス女史の"Le Japon intime"からの引用