音楽のVision

youtu.be

And time yet for a hundred indecisions,

And for a hundred visions and revisions.

T.S. Eliot

 カールハインツ・シュトックハウゼン、彼もまたVisionをみたらしい。

 Visionとは神秘家やその系譜に属するであろうウィリアム・ブレイクやT.S.エリオットのような詩人にとっては(神を)幻視することであり、いまひとつ近代へちかづけば、神を通して世界を知的に把握すること(マルブランシュ)であり、神の影が薄れたのちも哲学においては「直観」のような神的含みをとどめている。

 かなりはやい時期に電子音楽を取り入れたドイツの現代音楽家で、既存の音階秩序を破壊せんとしたセリー主義––––大衆音楽批判の急先鋒であるフランクフルト学派の哲学者アドルノも属していた––––の作曲家に数え入れられている。

 彼が四歳のころ、精神を病んだ母はナチの優生学にしたがって安楽死させられ、大戦で独ソ戦に加わった父はそのまま帰らなかったという。苦学して大学に入り、のちに高名かつ難解な現代音楽の理論家となった。だけでなく、おそらくはアドルノなら批判したであろう大衆音楽にも影響を与え、カン、クラフトワークジョン・レノンが好んで彼の作品を聴いたという。

 音楽理論のようなものにまるで疎いわたしなどにとっては、一聴してあえて不快にさせる映画音楽やノイズ・ミュージックの類かななどと臆断してしまうのだが、実のところこの「テレムジーク」にはあらゆる民族音楽が息づいているという––––これを電子音でやってのけたのだ。彼がとり憑かれて夜も眠れなかったというVision(幻聴? 否、本人が言うのだから幻視なのだ)とは、「全ての国と全ての人種のための音楽」であったそうだ。そうか、これが........。

 それにしてはあまりに難解すぎやしないか。

 

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  哲学史への付属として音楽を紹介していくつもりだったが、それにしては長くなったので、独立させた。今後も独立させていこう........。どうも予定していたことがまるでその通りにいかない。まあ、見切り発車の負債か。