無限なるもの History of Philosophy 3

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 故郷のブラジル北東部パライバ州の森であろうか、ここで顔をくしゃりとさせてギターを抱えているのはSivcaその人である。ブラジルの他にパリ、リスボン、ニューヨークなどで活躍したようだ。英語のWikipediaには多楽器奏者かつアルビノという共通性をもち、たびたび共演していたためエルメート・パスコアールと間違えられることもあると書かれてあった––––いまだにアルビノ差別は深刻で、とりわけアフリカのサハラ砂漠以南の地域では呪術信仰により殺害されることもあるらしいのでこの語には注意したい––––が、印象としてはパスコアールのほうがはるかにヤバイおっさん(リンク参照)だと思う。

 

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  無限、永遠、不滅なるものがこの世界のすべてをつつみ込んでいる。世界の唯一の原理は水や火のように即物的に規定できるようなものではない。タレスに続くミレトス学派三大哲人の二人目であるアナクシマンドロスはこう考えたのであった。抽象化の極地であり、大いなる一歩に思われる。

事物はそれが生まれたところへとふたたび帰りゆくように定められている。というのも、事物はおのが不正(injustice)により、時間の秩序にしたがって、相互に、罰を受け償いをするからである。

 水がほんとうに万物の原理であるならば、それはもう世界を覆い尽くしてしまっているはずだ。暖かさと寒さ、乾きと潤い、こうした対立的な原理同士がいつもたたかいを繰り広げ、その応酬によってバランスがとれている。このバランスこそが自然の法則であり、つねに変わり続ける運動である。この運動のなかでものごとは進展し、世界が展開してきたのだ。だから、アナクシマンドロスの想定した唯一の原理である「無限のもの(ト・アペイロン)」とは、量的な無限性をさすのではなく、質的な無限性、つまり「無限定性」をさしている。このような考えはいまから見てもかなり説得力のある世界理解ではないか。

 また、かれはかなり広範にものを考えたようで、のちのギリシア哲学の学的プログラムをおよそ完全なかたちで提示していたのではないかと推測されている。ほかにも夏と冬の至点、春と秋の分点を計測する道具をつくったり、時を測る装置もつくったという。それからこれは余談になるけれど、歌っていると子どもたちに笑われたらしい。これに応じることばに現れる人柄が良い。「それでは、この子供たちのために、もっと上手に歌わねばならないね」。

 続くミレトス学派の三人目はアナクシメネスである。かれは万物の原理を「空気」であるという。「空気」の密度が濃くなればなるほど、液体、固体と堅くなっていく。つまり「空気」の濃密さと希薄さの度合いによって世界は多様化している。ここにアナクシマンドロスの考えた無限定性を具体的なものに見出そうとする努力がみられる。

 わずかに残されたかれ自身の断片にはこうある。

空気であるわれわれの魂がわれわれを統括しているように、この世界のすべてをプネウマ(風あるいは気息)が包み込んでいる。

 まるで世界が呼吸しているかのように、世界は空気で充ち満ちていると考えていた。のだ。(ピュタゴラス教団のドグマに「魂の移転」というものがあるが、アナクシメネスの影響があるとみてよいのではなかろうか)

  ラッセルが言うように、こうしたミレトス学派の哲学者たちの偉大さはその発見ではなく、問いの立て方にあった。このもの思わぬ広大な宇宙のなかに、人類という種が誕生してはじめて、宇宙–––もちろん人間は宇宙の一部である––––はみずからを認識するに至った。これと同じように、そしてこれをさらに前進させ、人類史のなかで(おそらく)はじめて、この世界の変わらぬ原理を求めようとしたひとたちが現れた。かれらは確かにみずからを哲学者と呼ばせはしなかった。しかしわれわれは、しばしば神話と絡み合いながらも、そこから切断しようとするかれらの思考のうちに哲学の萌芽をみるのである。

 

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 タレスに関しての若干の補遺。哲学をこころざすひとはどの時代にもおおよそ浴びせられるであろう俗な非難がある。いわく、「お前は現実が見えていない」。タレスもこれに似たようなことを言われていたようだ。その意味でも先駆的である。

 プラトンは伝えるところによれば、かれは星辰の動きに夢中で穴に落ち、使用人に笑われたという。

 「あなたは、熱心に天界のことを知ろうとなさるのに、ごじぶんの足もとのことにも気がつかれないのね」

 しかし、これは本当か。他の証言をみてみる。

 アナクシメネスピュタゴラスへの手紙で次のように書いている。

エクサミュアスの子タレスは高齢で亡くなられましたが、仕合せな方ではありませんでした。あの方はいつもの習慣どおり、下女を伴って夜間に家を出て、星を観察しておられました。そして観察中に、自分がどこに立っているかと言うことが念頭になかったために、切り立った崖から足を踏みはずして転落されたのです。このようにして今、ミレトスの人たちは天空のことを語ってくださる方を失ってしまったのです。 

 (死んどるやないかい、最初の哲学者が足下見れなくて死んどるやないかい

 

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 もとより個人的な勉強のための覚書である。だから単に煩わしいという理由で出典を明記していなかったのだけれど、何人かの友人・知人が読んでいるとなるとだんだん気が引けてきた。もともと脚注が多いなら多いほど良いと考えているので、付けないのはそれはそれでストレスになる。ということで、主な参考図書はここに記しておく。

バートランド・ラッセル『西洋哲学史』(みすず書房

ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』(岩波書店

・『哲学の歴史』シリーズ(中央公論社

この他の出典は引用する際にはなるべく示すことにするが必ずしもその限りではない。